うさぎの趣味のお部屋

月は好きだけど月に行きたいとは思わないうさぎ。

蛍火の杜へ を見た話⑦ (ネタバレ有り)

こんにちは。うさぎです。

前回は別の記事を書きましたが、今回はちゃんと続きを書きます。

第⑦回、最終回です!!

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とはいえ、筆者が思ったことや感じたことをつらつらと書いて行くだけですので、面白くないと思います。

まあ、備忘録ですからね(笑)

 

じゃあ、気合を入れて!行きま~す!

 

本編の内容を含みます。

結末などもネタバレするので、以下ご注意ください。

 

 

 

主題、「蛍火の杜へ」とは、どのような意味なのでしょうか。

 

まずは"蛍"について調べてみました。

虫がとっても苦手ですが、画像を見ないようにインターネットで検索しました!

ホタルは、綺麗だったり、美しい水辺、環境に生きている、というイメージがありますよね。実際、美しく、豊かな環境に生息する生き物のようです。寿命は1年ほどで、人間からするとはるかに短いです。そして、成虫の時に光っていると思いがちですが、実は一生光り続けているのだそうです。光る理由は、繁殖行動のためが一番大きいと考えられますが、幼虫やさなぎの時にまで光る必要はないと思ってしまいますね。詳しい理由は分かっていないそうですが、捕食されないように警告として光っているとも言われているそうです。ちなみに、"火垂る"とも書きますが、こちらは、ホタルが発光しながら飛ぶ姿が、火が垂れるように見えることを表しています。

 

次に、"蛍火"について調べてみました。

蛍火とは文字通り、ホタルが発光する光のことです。では、ホタルがどのように光っているのかについても調べました。ホタルはお尻の部分に発光器を持ち、ルシフェリンという物質と、ルシフェラーゼという酵素を反応させ、酸素を消費して発光しているそうです。ホタルの多くは、成虫になると口が退化してしまうため、幼虫期に蓄えたエネルギーを使って発光し続けます。命を燃やして、光るということですね。

 

さらに、"杜"についても調べてみました。

"森"は多くの木が生い茂っている場所を表すのに対し、"杜"は神社のある木立ちの意味で用いられ、神秘的な雰囲気のある森を指すこともあるそうです。

 

では本題です。「蛍火の杜へ」とは、どのような意味なのでしょうか。

筆者は、 蛍とギンの出会いと別れそのものを指している と考えました。

 

ギンは、ホタルの立場であると考えました。

神秘的で神社もある杜に住む存在であり、人間が触れたら消えてしまうほど儚い存在です。また、ギンの最期は強い光と共に消えて行きました。蛍と会っていた10年間の夏は、正確ではありませんが合計すると1年にも満たないです。ホタルの寿命に近いですね。接触さえしなければ長く存在を保てるのかもしれませんが、最初は人間として生まれたギンにとっては、孤独でしかないでしょう。周りに妖怪がいたとしても、自分は妖怪ですらないのですから。そして、山神様に生かされている状態のギンは、もしかすると森を出られない、という可能性もないとは言えません。ギンにとって森は生きる場所であると思います。さらに、お面を着けているのは人間に対する警告(ホタルが他の生物にする警告)のように取れます。自分に触れないで、自分は人間じゃないから、と。

 

そして、主人公の竹川蛍は人間です。

なぜ名前に蛍と入っているのでしょうか。人間ではないものの名前が入っていることがおかしいと言いたいわけではなく(花子さんだってお花が入ってます)、映画タイトルと同じ名前の部分がある、ということに、何か隠された意味があるのではないかと思うのです。「竹」は、榊と同じで不浄の意味を持ち、お正月の門松など神事に用いられています。「川」は、美しく豊かであればあるほど、ホタルが生息するには最適と言えるでしょう。名前の「蛍」は、初夏から夏にかけてしか出会うことができない存在、ということを示していると思います。作中では二人は夏の間に会っていましたが、蛍は学生ですから冬や春にも休みがあると思います。しかし、夏にしかギンに会いに来ていないのです。ギンは冬も森にいる描写があるので、夏しか森にいないということは言い難いと思います。だから、ギンと違って無理やりにでも会いに行こうと思えば、蛍は行けたのです。

 

よって、蛍は、ギンにとって最も過ごしやすい存在であると言えると思うのです。名前にある神と自然と夏は、ギンと蛍が共に過ごした"山神の森"であり、ホタルのようなギンが最も良く生きられる環境だと思いました。だから蛍がギンに出会うのも別れるのも必然で、蛍と共にギンは"人間のような"一生(10年分の夏を換算し1年)を生き、その命、蛍火が燃え尽きて消えて行ったと考えました。さらにさらに、蛍火は線香花火のようにも見えると聞きます。二人はお祭りで花火を見ていましたね。

 

とまあ、これは想像でしかないのですが...。

ともかく、蛍もギンもつらいことはたくさんあったと思いますが、それ以上に、そこにある幸せを選んでいたと思うのです。ただ、限られた時間を最大限一緒に過ごすだけ、という...。

このような悲しくて美しい恋のお話が書ける作者さんはすごいです。

ハッピーエンドとは言えないのかもしれませんが、この話の終わり方はこれが良いのかな、なんて思ったりもします。

 

とても面白く、切なく、温かい素敵お話でした。

好き、の伝え方は一通りじゃないと分かりました。

筆者も恋愛をしてみたいです。

そしてまた、この「蛍火の杜へ」を見たいです。

 

 

慣れない考察じみたことをしてしまいましたが、果たしてどの程度文章に表現できたかは分かりません(笑)

文才を磨きたいです。

長々と読んでくださり、ありがとうございました。

 

今回はこれで終わります。

 

 

 

はな

 

 

 

2021/08/31